乗っ取られたんだ

「…」

「……」

「……………………ねぇ」

「たぶん、聞こえていないと思うけれど」

「私は、あなたが、羨ましい」

「自分が人じゃなく、何か他の動物として生まれていたらどんなに良かっただろうって、そう思う事がある。前にも誰かにそんな話をしたら『いや、動物だって大変なんだぞ、動物になったら楽になれるなんて、そんな考えは動物に失礼だ』とか、そんなつまらない話をされてうんざりしてしまったけれど。私が言いたいのはそういう事じゃないんだ」

「私にはもう扱い切れないくらいに、この頭は大きくなり過ぎていて、私が死んでこの身体の活動が止まるまで"考える"という行為を絶対にやめてくれない。私の意思とは無関係にこの頭は何かを考え続け、私の精神の中でとりとめもなくなんらかの思考を生産し続ける。まるで頭だけが別の何かに支配されているかのように、私自身に何かを考える事を常に強要する。そして、プールの水は勝手に満たされて、溢れて、それが私を苛んでいる。溢れた水をどうにかして抜かなければと悩み、また考え、そして私達はしばしば怒ったり、嘆いたり、暴力を振るったり、泣いたり笑ったりして、どうにかプールの水を減らそうとする。でも、どんなに頭を空っぽにしようとしても、思考を完全に停止する事が出来ない。気が付くと、考えてしまう。考えなくてもいい事まで考えてしまう」

「人間は考える葦である、って誰かが言っていたけれど、この言葉を初めて聞いた時には、なぜ葦なのか、私にはよく分からなかった。それはただ単に、私が葦という植物についてよく知らなかったからなのだけれど。葦は風に晒されるとその身を曲げて、吹きすさぶ風に負けて曲がってしまったように見えるけれど、風が止むとまたゆっくりとその身を起こし、真っすぐに戻ってゆくのだとどこかで聞いたよ。それだけを聞けば『ああ、確かに、我々もそんな風に生きたいものだなぁ』と私達は考える。私達が大好きな類の"良い話"だと思う。だけれど、私は、人間は考える葦であるっていうこの言葉に、皮肉を感じる。だってそうでしょう。葦がまた身体を起こすのは、それが葦という生命にとっての正しい姿だからに他ならない。それ以外の理由なんてない。彼らは『よし、ここであえて身体を曲げたままにしておこう』なんて考えない。身体からの命令に愚直に従って、ただ生きている。でも、人はそこで、考えてしまう。なぜなのかと問うてしまう」

「皆、自分の身体は精神に支配されていると思っている。"動け"と考えるから身体が動く。"歩け"と考えれば歩く。必ず肉体よりも思考がまず先にあって、人の身体はそういうものだと思っている。でも、それは違う。思い通りになる部分だって確かにあるけれど、人間は身体のほうに支配されているんだと私は思うよ。思考よりも先に肉体がある。あなたを見ているとそれを痛感する。部屋の掃除を始めるのは誰だって面倒だけれど、やっているうちになぜだかやる気が出てきて、結局徹底的にやってしまうような、あるいは、身体の関係を持ってしまった異性に、恋愛感情が後から付いてくるような。私達だって葦と同じだ。身体からの命令に従って、生きている。思考も、精神と呼んでいるものも、身体からの命令には抗えない。身体がなくなってしまったら精神はどうなる?魂と呼ばれるものはどうなる?死は誰しもが最後に経験する一度きりのものだけれど、その向こうから戻って来た人がいないから、その先はまだ誰にも分からない。それはとても恐ろしい事だと思わない?私達はなにか、とても重大な勘違いをしているような気がするんだ」

「私達は考える葦だ。私達自身が肉体に支配されているとも知らずに、全てに意味や理由を付けてしまう。風が止んでまたその身を起こしただけの事に、わざわざ意味を考えてしまう。この世の全ての出来事に、勝手に意味付けをして、勝手に満足したり勝手に落胆して生きている。そして勝手に疲れて、勝手に嫌になって…」

「…………………ねぇ」

「目を開けてよ」

「私はもう、考え続ける事に疲れたよ」

「どうして、あなただったのか。どうして、私だったのか。私がそうなっていれば良かったのに。私のほうがあなたのようになっていれば良かったのに。なのに、私だけが助かって、あなたはこうなって、私達は皆肉体に支配されていて、あなたはその肉体が上手く機能しなくなったから、考える事も出来なくなって、声も聞こえなくなって、だから私は必死に考えて考えて考えて考えて、それでも駄目で、もう駄目なのに、それでも、意思とは関係なく何かを考え続け、私の精神の中で身体が勝手に思考を生産し続けるんだ。まるで頭が別の何かに支配されているかのように、あなたの事を、考え続けてしまうんだ」

「声が、聞きたい」

「私の頭は、きっと、あの時」

「あなたに乗っ取られたんだ」