あとがき

 最初の「ディストーテッド・アガペー」全五回が終わった直後は、正直に言うと、もうしばらく長い文章は書きたくないと思っていました。

 最初のものと「続」のほうを合わせて全十回、単純な文字数の合計は恐らく三万字以上はあると思います(いま頭の中でぼーっと考えているだけなので、実際の文字数とはかなり差があるかも知れませんが、体感だとそのくらいあったような感じがします)が、いわゆる長編小説を一冊仕上げようと思ったら三万字どころでは全くページが埋まらないわけで、そう考えると、改めて本を一冊仕上げることの大変さと、それをやり遂げている物書きの方々の偉大さを実感しました。
 前回のあとがきにも書きましたが、初めてこうやって物語を書かせて頂き、五回を書き終えた時点でもう「自分に出来る事はやった」という達成感のようなものもあり、これ以上書きたい事も、その時点では見つかりませんでした。なので、「またやってみないか」というお話を頂いた時、本当にやるべきなんだろうかと悩んだ記憶があります(こうしてまたあとがきを書いているという事は、最終的にはやるべきだと決意し、そしてそれがちゃんと実を結んだという事なのですが)。
 楽器の練習方法において、悪い習慣の一つとして「出来る事ばかりやって満足してしまう」というものがあります。それなりに時間をかけて楽器を練習するのだけど、やる事といえばいつも同じで、好きな曲やフレーズを一通り演奏して、それで練習した気になっているパターンです。好きな曲や得意なフレーズを思う存分演奏するのは気持ちがいいですし、満足感もあります。弾けない曲に挑戦して指が思うように動かず苛々する事もありませんし、自分の下手糞さにがっかりするような事もありません。ですが、練習というのは「出来ない事を出来るようにする」から練習なのであって、出来る事を繰り返すだけではなかなか成長しません。そして、それは楽器の練習だけでなく全てにおいて同じだと思います。
 もう一度やってみようと決めて、このお話をお受けした後、さて今度はどんな話にしようかと色々考えを巡らせました。そして、またやろうと決意したからには、今度こそ自分の身近なテーマである「音楽」から離れた話にしたい、と思いました。出来ない事を出来るようにしなければ成長はありません。そう思ってから「続」の第一回目を書き終えるまで、かなり色々と悩んだような記憶があります。ですが、終わってみての感想として、書いている最中自分自身が少しずつ自由になっていくのを感じたので、続編のお話を受けた事、音楽から離れた話を書いた事は間違っていなかったのだと感じています。

 僕が何かを表現しようと思った時、出てくるものは必ず、辛辣で、殺伐としていて、陰鬱で、救いのないものが出てきてしまうのですが、能天気に明るいものはやはり書けそうにありません。今回でそれを再確認しました。そういった表現にも挑戦はしたいと思っていますが、納得がいくものが出来ないのでいつになるやら。なんと言ったらいいのか、こう、薄っぺらいハッピーなものに触れた時の鳥肌が立つあの感じ。虫唾が走るとはこの事か、とリアルに思うあの感じ。その生理的嫌悪の壁を乗り越えた先の、本当の幸福感や本当のハッピーさについては、いつか真剣に向き合って形にしていきたいと思っています。
 僕が生きる中で「ほら、やっぱりそうだ」という感覚が何よりも信じられます。最初から全てを諦めて、誰にも期待しないようにして、必要以上に喜ばないように、舞い上がって自分をなくさないように、何もかもを疑って、そうやって生きていれば期待はずれのものが見えた時に傷付かずに済みます。下手な優しさや温かさを信じてみるよりも、自分を傷付けないものとして、とても信じられます。ですが、それは時に堪え難くなるほど虚しいものです。のちに作られた楽曲「ディストーテッド・アガペー」まで全て含めて、なんとかしてその地点から脱出したかったのかも知れません。

 最後になりましたが、最後の最後までお付き合い頂いた皆様、本当に本当にありがとうございました。再びこんな機会を設けて下さったWHAT's IN? WEBの皆様、その他関係者の皆様、そして、本編と、これを読んでくれた皆様。辛く悲しい事も沢山あったけれど、僕はやっぱりこうやって文字を書くのが好きみたいです。
 僕の書いたこれらの話と、音楽が、あなたの世界にとって理解ある友達であったり、何かを壊す爆弾であったり、やがて死ぬまでのほんの少しの暇つぶしであったり、そういうものになってくれたら、とてもとても嬉しいです。

 それでは皆さん、ありがとう、さようなら。

farewell

■10がつ14にち

 今日もおかさあんがきてくれました。いろいろお話をしてたのしかったです。このあいだ教えてもらったツルの折りかたをいっぱい練習したので、おかあさんの前でもすぐ織ることができました。おかあさんが喜んでくれてうれしかった。今度はかぶと(七五三のときとかにかざるやつです)の織りかたをおそわったので、またいっぱい練習します。たのしい日だったのでずっと起きていたかったのだけど、もう寝なさいといわれたのでねます。あしたもまた来てくれたらいいのに。

■10がつ14にち

 あたまがいたくて、背中のほうもいたくて、ごはんも食べたくなかったけど、食べないとなおらないよっていわれてがんばって食べました。ちょっときもちわるい。

■10がつ16にち

 ひまです。わたしはひまになると、絵をかいたり、教えてもらったおりがみを織ったり、テレビをみているのですが、それもあんまりおもしろくなくて、窓のそとをずっと見ていました。私のところからは、中庭がちょうどみえます。わたしとおなじ服を着たひとたちは、たぶんわたしと同じように、ここににゅういんしている人たちでしょう。あと、ときどきクルマが通ったり、ふつうのかっこうをした人が歩いていたりします。わたしはここから出ることができないので、そういう人たちを見ながら、あの人はなにをやってる人なんだろう、どんなしごとをしてるんだろう、とか、そんなことを勝手にかんがえてあそんでいます。いま新しいクルマが通りました。あのクルマにのってる人はどんな人なんだろう。
 わたしが今のわたしじゃなくて、もしもちがう人だったら、そのわたしはどういう人になったんだろう。もっとあかるくて、友達がいっぱいいて、がっこうに行ったり、しごとをしたり、好きなひとができたりしたのでしょうか。わかりません。だって、いまのわたしは、いまのわたしで、それ以外のわたしなんてどこにもいません。でも、もしいたら会ってみたいなぁ。  そこでわたしはひらめいて、新しいあそびをかんがえました。
 おはなしを作るのです。
 わたしが主役になって、いろんなしごとをしたり、いろんなところへ行ったり、ぼうけんをしたりするおはなしです。パンやさんのわたし、ケーキやさんのわたし、先生になったわたし、いろんなわたしをかんがえて、それをおはなしにして書くのです。われながらすごいはつめいをしたと思いました。だって、これならベッドの上からでもどこへでも行けるし、誰にでもなれるから。
 さっそく、さいしょのおはなしにとりかかりました。

■10がつ20にち

 まいにち日記をかくのを、ちょっとさぼってしまいました。
 今日はおかあさんといっしょにおばあちゃんもきてくれました。おばあちゃんはたまにしか会わないけど、いつもやさしいです。おかあさんとおばあちゃんに、わたしが考えたあたらしいあそびの話をしました。そして、きねんすべき最初のおはなしをふたりによんできかせました。わたしがどこかの国のおひめさまになって、わるい国の王様をやっつけるおはなしです。おはなしがおわると、ふたりともとても喜んでくれたのでうれしかったです。でも、そのあと、おばあちゃんはわたしの手をにぎって、×××××ちゃんのびょうきをかわりにもらえるんならいくらでも代わってやるのに、といって泣いてしまいました。おかあさんもちょっと泣いてました。でもわたしは、しわくちゃの手にはなりたくないので代わってもらいたくないです。それに、おばあちゃんがしんじゃったら悲しいから。

■10がつ22にち

 きょうは先生がきただけで、だれもきませんでした。  先生に、いつになったら出られるのかきいてみました。でも、いい子にしてればそのうち出られるよ、と言っただけで、ほかにはなにも言ってくれませんでした。
 おとうさんがまだ生きていたころ、おかあさんがおとうさんの体を心配して、もっとああしてこうして気をつけてよ、と言ったとき、おとうさんは「うるさい、自分のことは自分がよくわかってるんだ」とよく怒っていました。でも、おとうさんの具合がわるくなって、いまのわたしと同じようにずっと寝たきりになってから、おかあさんはおとうさんを怒ったりしませんでした。おとうさんがいなくなってから、わたしはたくさん泣いたのですが、今度はわたしがこんなふうになって、それもおかあさんは怒りませんでした。おかあさんが怒ったり、かなしんだりすると、わたしもかなしいので、おかあさんが来たときは、いつもたくさんおしゃべりをして、おかあさんを喜ばせようと思います。

■10がつ25にち

 ちゅうしゃのはりがこわかった。

■10がつ26にち

 わたしの体がふつうの人よりもよわいのは、何となくわかっています。自分のことは自分がよくわかってるのです。
 今日は体もいたくて、おかあさんの前で泣いたり怒ったりしてしまいました。
 おかあさんが帰ったあとで、窓のそとを見ていたら、わたしとおんなじくらいのこどもが遊んでいました。ふだんは何ともおもわないのですが、とてもうらやましくなって、また泣いてしまいました。どうしてわたしの体は、はしったり動きまわったりできないのでしょうか。わたしだってみんなといっしょにあそんだり、いっしょに勉強をしたりしたかった。それは、ずっとかんがえないようにしてきたことでした。かんがえてはいけないことでした。だって、いくらかんがえても体はうごかないし、また泣きたくなるだけだから。どんなにうらやましくたって、わたしは今のわたし以外にはなれないから。
 また、おはなしをいくつか書きました。こんどはがっこうに行くおはなしです。がっこうがイヤになって、がっこうを飛びだして、でもやっぱりみんなに会いたくなって、またがっこうに戻ってくるおはなしです。なかなかよく書けたと思います。はやくおかあさんにきいてもらいたい。

■11がつ1にち

 おかあさんと先生が話しあって、わたしの手術をする日がきまったみたいです。おかあさんと先生からききました。おかあさんも先生もわらっていて「大丈夫だよ」と言っていました。わたしはいたいのはイヤなので、ほんとにいたくないのか何度もききました。先生は、×××××ちゃんが眠ってるあいだにぜんぶおわっちゃうから全然いたくないよ、と言っていました。
 夜になると電気が消えて、そしたらもうねないといけないのですが、今日はねむれませんでした。あたまのなかで、ずっと「手術」ということばがぐるぐるまわっていて、わたしがねるのをジャマしてくるのです。手術がおわったら、みんなと一緒にあそべるようになるのでしょうか。いっしょに勉強できるようになるのでしょうか。がっこうに行ったり、しごとをしたり、だれか好きなひとができたりするのでしょうか。

 わたしは、自分の体がとてもわるいことはわかっています。先生もおかあさんもはっきり言わないけれど、自分のことなのでわかるのです。手術がおわっても、具合がわるいのはかわらないかも。もしかしたら、そのまましんでしまうかも。そう思うと、もっとたくさんたくさんおはなしを書きたくなりました。わたしの手がまだうごいているうちに、あたまがちゃんとものをかんがえてくれるうちに、わたしが好きだったものや、なりたかったものや、行きたかったところ、さわりたかったもの、話したかったひと、そういうものをもっともっと書きたくなりました。
 じかんはもうあまりありません。
 おかあさん、ごめんなさい。わたしがよわいばっかりに、いつもおかあさんを悲しませてばっかりで、ほんとうにごめんなさい。

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■××がつ××にち

 手術のひがきました。
 てが、もうあまりうごきません。
 からだにくだがついて、くちもふさがれていて、しゃべれません。

 もし、このにっきをよむひとがいたら、ひとつだけおねがいがあります。
 わたしのかいたおはなしを、ひとつだけでも、よんでみてください。
 あなたは、まだ、どこへだっていけます。
 まだ、なににだってなれます。
 わたしのものがたりをよんで、たのしい、うれしい、かなしい、おもしろいきもちになったなら、あなたはそこへいって、わたしのかわりに、たしかめてほしいのです。

 オーロラのいろはほんとうはなにいろか。
 ラクダのせなかののりごごちはどうか。
 さばくのおうさまはちゃんとねむっているか。
 こどもたちがよるになにをみているか。

 あなたは、まだ、どこへだっていけます。
 まだ、なににだってなれます。
 そのてとあしで、たくさんのものを、みて、たしかめてください。
 わたしのものがたりが、ただしいのか、まちがっているのか、それをたしかめることができるのは、あなただけです。
 どうか、おねがいします。

 それでは。
 ほんとうはいわずにすむのがいちばんだけれど、いえないままきえてしまうのはさびしいので。

 さようなら。